1975年頃、大阪に存在したガラス問屋、カメイガラスで、由利精助氏が中心となり薩摩切子の復元が始まりました。
1980頃から氏の指導を受け、2年後、薩摩切子復元の仕事に仲間入りさせていただきました。
以後カメイガラスが廃業するまでの1997年ごろまで薩摩切子に携わってきました。

薩摩切子は「色」の部分が厚く大変見難く、高度な技術がもとめられます。カメイガラスの研究室以外で復元に携わったのは 阪本光男氏と私の二人だけでした。

江戸切子と薩摩切子

薩摩切子(さつまきりこ)は、薩摩藩が幕末から明治初頭にかけて生産した切子ガラスです。長崎から伝わった切子は初め大阪で作られ、やがて江戸に伝わり江戸切子として花咲きました。さらにその影響を受け、厚被せの色ガラスに切子加工された薩摩切子が誕生し、その高い技術は世界的にも知られました。しかし、文久三年の薩英戦争で薩摩切子は一瞬にして廃絶したのです。
 当時作られた薩摩切子は現在150あまり見つかっており、サントリー美術館などに百数点が保管されています。

 当時の江戸切子は、江戸の町にあったいくつもの小さな工房で作られました。無色透明のガラスに職人の手で丹念なカットが施されています。そして高い屈折率を持つ鉛ガラスで作られているため、光を当てるとまるでプリズムのように虹色の光を生み出します。

 薩摩切子は、28代藩主 島津斉彬が切子を藩の重要な産業として始めました。
薩摩切子の大きな特徴は削られた面に現れる「ぼかし」です。透明なガラスの上に色ガラスを被せて作る「色被せガラス」。それは当時、全国で唯一薩摩藩だけが持っていた技術でした。分厚い色ガラスの層を削ると色の層が下に行くほど薄くなり「ぼかし」ができるのです。そしてぼかしとともに大きく深いカットも薩摩切子の特徴です。